2009年6月14日日曜日
英語がキライな理由・スキな理由<根元をしっかり>
私のような頭のカタイ人間は、英語を学ぶ根本的な理由付けができていないと勉強する気がしない。
英語が嫌いな理由はいくらでもある。
アメリカ占領政策の一環だとか、99.99999%の日本人は一生のうち英語を必要としないとか、日本語もロクにできないくせにとか、グローバル化・国際化という名の植民地主義に加担しているとか、西洋人コンプレックスの表れとか、日本の伝統文化への破壊行為とか……
実際に、私は高校生くらいまでずっと上記のように考えてた。いや、今も少しそのように考えているフシがある。
しかし、それでは当ブログの存在意義がゆらぐ。ゆらぎまくる。
ここで改めて英語を学ぶ、根本的な理由をまとめよう。
1.英語を学ぶのは、数学や歴史を学ぶのと同じだ。実際的な必要性からではない。学ぶことによって世界観や知識の幅が広がり、真理に一歩ずつ近づく。学ぶこと自体が楽しくなる。
2.英語を学ぶことは、言語を学ぶこと、つまり言語で枠組みがつくられる文化(の違い)を学ぶことである。それは日本語や日本人、日本の文化を学ぶことにつながるし、他の文化や事象など世界を理解する手がかりになる。
3.世の中の半分近くは英語でやりとりされている。インターネットの世界では日本語の10倍くらいの情報がある。書物文献、博物館や美術館内の解説文、英語を話せる人々とのコミュニケーションを身につけられる。
無理くり3つにまとめてみたが、どれも学ぶ理由付けにはなる。
ただし、その比重は人それぞれだ。
私は、言語と文化的背景に関心があるので2がやや大きい。もちろん、その時々によって1が大きくなったり、3が大きくなったりする。
いずれにせよ、英語がキライな理由は屁理屈ばかりである。
動機は何だろうが、目的は何だろうが、少なくとも英語を学ぶこと自体はよい行為だ。
まあ、はっきりいって、自発的に他言語を学ぶことにわるいことはあるまい。
もちろん母国語をちゃんと継承できている限りのことである。(強制されたり、洗脳されたり、ほかに選択肢がなかったりして母国語を失うということは、歴史においてよくある話だからね)
おっと少し話がそれが、英語を学ぶ根本的な理由がはっきりしたところで、次回は「なぜ英語を学ぶのか」という動機と、それに合わせた目標をハッキリしよう。
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